KNHS ~春日部ニューハーフ物語~ 第5話

8月某日。
俺は上野駅に居た。
駅の構内だというのに暑い。
滝とまではいかなくても、汗が流れ落ちる。
グレーの服を着てこなくて良かったとつくづく思う。
前日に電話しておいた【真打ニューハーフクラブ】の予約時間は18時。
スマホの時計に目をやるとまだ15時。少々早く着きすぎたみたいだ。
ふと思えば小腹が空いていた。ソーセージディナーの前のおやつに時間にちょうどいい。
俺は上野駅を出てアメ横に繰り出すことにした。
入る前からして雑多に店と人がごった返している。
地元とは違う雰囲気でもどこか懐かしい気がした。
人ごみが好きって訳じゃないけど、どこか異国情緒のあるアメ横は好きだ。
店先で売られている怪しげな腕時計やお菓子がやけに魅力的に映る。
昔あったエッチな本の自動販売機みたいだ。
どんな内容か表紙さえもわからない時もある。
買って中身を見てみるととんでもなく写真も漫画も古い。
それでも手を伸ばしそうになる。きっと買ってしまえばその日のうちに後悔するかも知れない。
目的が違うので今日は止めておこう。
鮮魚店の値段はあって無いような物。ガナリ声で売り上げのラストスパートを店主が欠けている。
マラソンと一緒でペースも考えず朝一から怒鳴ってれば最後までもたなそうだ。
アメ横も一昔前と違って随分様変わりしたんだろう。
とは言っても、昔のアメ横は知らないのであくまで予想。
アメ横を少し進むと韓国のホットック、トルコのドネルケバブ、それに中国の小龍包の店がお目見えする。そして築地も近いので回転寿司屋なんかもある。
食欲が加速する。そこまで減っていないと思っていたお腹は予想以上に泣き叫ぶ。
夏ってのは不思議なもんで、暑い分汗も出るし直ぐにエネルギーが空っぽになる。それでいて直ぐに補給をしないと今度は暑さにやられて何も食べられなくなる。
急いで食べたい物を思い浮かべる。
早く食べないと何も食べられなくなる。
白河さん流で言えば、経験がそう告げてるってね。あんたもそう思うだろ?
とりあえず一番強烈に視覚でアピールの感じたドネルケバブに決めた。
ワンコイン500円で妄想観光がぐっと現実味を帯びる。
一番辛い山崎スペシャルと書かれているのを注文する。
金串にささった何百枚もの肉・肉・肉。
クルクルと周りながら焼けていく様子はバレリーナかフィギアスケーターのようだけどちょっと寸胴だ。
でも、今の俺にはそれこそ世界一魅力的に見える絶世の美女。
店員は慣れた手つきで肉をそぎ落としていく。
俺の手までトルコからの直行便で運ばれる。わずか数秒のフライト。
ずっしりと重い。キャベツとトマトそしてもちろん肉。
ピタパンの中に広がるトルコにかぶりついた。
『う~んイスタンブール』
思わず俺の知ってるトルコの全知識が口をついて出た。
スパイシーなピリ辛のソースと肉汁。
それに野菜とぴたぱんと肉の歯応えが三位一体でまさに最強。
アニメの合体ロボだって、コレには勝てない。
なあ、あんたもそう思うだろ?
俺はペロリとドネルケバブを平らげて、もう少しアメ横をふらつく事にした。

KNHS ~春日部ニューハーフ物語~ 第4話

会社から自宅までは数分の距離。ちなみに実家も車で10分程度の距離。
俺ってばつくづく地元民で、このSDCTを愛している。
何にもない街なんて言って東京に出て行く奴らもいっぱいいたけど、それってここに何もないんじゃなくてお前が見つけられないだけだろって思ってる。
なぁ、あんただってそう思ってんだろ?
もっとも、俺が何かを見つけたのかって聞かれたら自信は無いけど誰かの何かを見つけた事はあるような気はする。
脇役だって見方を変えれば主役だろ?黒子は闇の中じゃ消えちまうけど、光の中じゃ一番目立つんだぜ。
俺は自分が主役の自分の城へと舞い戻る。
家賃は駐車場代込みの5万8千円で1Kの駅近くの物件。
フットワークの軽い俺には駅近くの物件がちょうどいい。
疲れた体に渇を入れて、玄関のドアを開ける。最後の力を振り絞って『ただいま!』なんて言ってみても、もちろん返事はない。
荷物をそこらへんにほっぽらかして、白河さんに貰ったIKEAのテーブルにでかい顔して座ってるマックの電源を入れた。
手馴れた操作でキーボードを叩く。
そして検索をかける。もちろん検索ワードは【真打ニューハーフクラブ】
ところで、パソコンってのは便利なもんでトントントンってな具合にキーボードに文字を打ち込めば知りたい情報が何でも手に入る。学生時代はわからない事だらけでも教科書すらまもとに開かなかった俺が、今じゃ何でもすぐに調べようって気になる。
この【真打ニューハーフクラブ】だって、一昔前なら怪しい書店のコーナーにしか置いてない本にしか情報なんて載ってなかっただろうけど、今じゃ・・・ほーら出てきなすった。
魅力的な言葉が画面に並んでる。
俺はマックのモニターを食い入るように見つめた。

―新たな世界へようこそ―
生まれ変わった誰かが、あなたを変わらせます。

たかが風俗と侮るなかれと言わんばかりに大仰な文句だ。
それにしても本当に女性にしか見えない元男性ばかり。
そんな中でも一際目を引くキャストが居た事を思い出した。
名前は【RIA】年齢は29歳、良く見るとアリアリ?
なんの事だと思って早速相棒のマックで検索。

《ニューハーフ ありあり》

マックの中に住み着いてるグーグル先生がご丁寧に教えてくれた。
ありありってのは棒も玉もまだ存命って事らしい。要は手術前だね。
でも【RIA】はどう見ても胸はDカップ以上ある。プロフィールを見てみるとEカップ。
写真を見ながら不思議な興奮を覚える自分がちょっぴり新しい世界の扉を開いたような気がした。

KNHS ~春日部ニューハーフ物語~ 第3話

俺は目的の人に連絡を取る為にさっそく俺はスマホを取り出した。
風俗関係では頼りになる兄貴分、サ行から白河さんの名前をピックアップ。
今日は仕事も休みだし、確か何もないって言ってたはずだ。
スマホから呼び出し音が軽快に鳴り響く。
時計の針は深夜3時半を指してても俺たち遅番の人間には夕方くらいの感覚で、白河さんのスケジュールデータは俺の頭にしっかり入ってる。
ちょうど起きて活動し出す時間のはずだ。
『もしもし』
数回の呼び出しで白河さんは電話に出た。
声からして俺の予想だと起きてから1ってとこかな?
『お疲れっス。富士田ッス。お休み中にすいません。寝てましたか?』
『いや、起きてから小1時間ってとこか?用件はなんだ?』
ビンゴ!!俺の予想は的中。景品は何もないけれど、話しやすくなった。
俺は頼まれ事の経緯を説明した。
スマホからキーボードをカタカタと弾く音が微かに聞こえた後白河さんは言った。
『俺も経験はないが、ニューハーフならやはり都内の方が良い。この店なんかいいな。』
俺は早速メモの用意。白河さんの言葉に準備万端こたえた。
『どこですか?その店って。』
白河さんは少し黙ってから続けた。
『パソコンの前にいるな?』
俺は返事をした。
白河さんは言った。
『店の名前は【真打ニューハーフクラブ】場所は上野だ。検索をしてみろ。』
言われた通り、目の前のパソコンで検索をかけてみた。
映し出されたお店のWEBページ。
なるほどニューハーフって言っても働いているキャストは女の子そのもの。
中にはギャグ要員みたいなキャストも居るみたいだけど、女の子って言われりゃほとんどが気付かない容姿だ。
白河さんも興味津々に話していた。
『ほほう。これはすごいな。少し前に行ってきた【痴女りたい】って店も良かったが、ここも良さそうだ。経験がそう告げている。もっとも俺はノーマルな男だがな。』
白河さんの経験が告げているって事はこの店で大丈夫だろう。
俺は白河さんに礼を言った。
『わかりました。ありがとうございます。』
その言葉を聞いた白河さんはどうやらタバコに火を着けていたようで、フーっと吐き出す音が聞こえた後に俺に言った。
『気にするな。さて、俺はそろそろ外に出てお月さんとご対面と行こう。またな、富士田。』
それだけ言って白河さんは電話を切った。
右に習えで俺はタバコに火をつけた。
大きく吸い込むと煙が全身を駆け巡る。ひと段落ってやつだ。
さてと、それじゃあ【真打ニューハーフクラブ】のWEBページゆっくりとを拝見する事にしよう。
それにしても見れば見るほど女性にしか見えない。
普通の風俗店と違って、なるほど個性も豊かだ。大きな声じゃ言えないが、自分の店よりも可愛いなんて思えるキャストもいる。
俺は何人かのキャストを頭に記憶して仕事を終わらす事にした。

KNHS ~春日部ニューハーフ物語~ 第2話

イエスと答え勇んで席に戻ったはいいけど…
さっぱりと掴めない?一体どうすりゃいいんだ?
いかにもって面持ちで腕まで組んで考え込んでると、隣の丘島さんがうまく針に食いついてくれた。
この人を釣るのは練り餌で十分。
鯉みたいにパクパクとすぐ話しかけてくれた。
『富士田。社長に何を言われたんでゲスか?珍しく腕なんか組んで。』
俺はエサ欲しそうに見ている丘島さんに言った。
『いやあ。社長に頼まれ事で。なんかニューハーフの店に行って来いって言われたんすよ。』
少し考え込んで岡島さんは言った。
『なるほど~。そう言えば今度ニューハーフの女の子を採用してみるって言ってたでゲス。たぶんその兼ね合いでゲスね。』
合点がいった。
つまり俺は先遣隊に任命されたって訳だ。生贄じゃなくてとにかく良かった。
心の中でホッと胸を撫で下ろした。
俺は少し丘島さんと世間話をしてから仕事に戻った。

 

遅番である俺は深夜3時を過ぎると時間に余裕が出来て来る。
注文の電話がけたたましく鳴るのがその時間まで。
外を見ると人なんて殆ど歩いていない。
いくら都会じゃないからって繁華街くらいはある。
でもこの時間にもなれば、さすがに息を潜めたように街は静まり返る。
裏腹に俺の心が躍っているのは社長からの頼まれ事で頭がいっぱいだからだ。
はてさてどうしたものか?
丘島さんだと色々聞くのはちょっと頼りない。古林さんや池元さんも物足りない。かと言って邑木さんも違う気がする。
あっそうそう。邑木さんも古林さんも池元さんも皆俺の同僚、って言っても先輩なんだけどね。
人にはそれぞれ得意分野がある。
丘島さんは車。池元さんは何故かフィリピン。邑木さんは一般常識とか色々。
そして古林さんは…
まあ、何かあるだろうなんて考えながら俺はある人にコンタクトを取る事に決めていた。

続く。

KNHS ~春日部ニューハーフ物語~ 第1話

サい玉県の端っこの端、スプリングデイクラブタウン(SDCT)って街を知ってるかい?
あまり有名なのがないもんだからアニメのキャラクターと藤の木をゴリ押ししてる。
都会でもないし田舎でもないけど結構住みやすいんだ。
俺はそこで生まれ育った。
それなりの高校で楽しくやって、今は街で結構有名な風俗店で日々奮闘中って訳。
俺の話をもう少し続けさせてもらう。
こう見えて…つってもあんたには俺の姿は見えないか?
まあ、こんな俺だけど頼ってくる奴らがいる。
トラブルシューターって言うと大げさかな?
誰が言い出したのか、便利屋のユウヤって言えばそれなりに知られてるんだぜ。
要は、昔っから頼まれると断れないのが俺の性分って事。
人生で一度だってキラキラ光った事なんてないけど、他人だったら輝かせた事もある。
さしずめ舞台の裏方、黒子役がこの俺。
さーて、俺の話はここら辺にして。
物語は俺の勤めていた風俗店から始まる。
ギッラギラの太陽がこんがりバーベキューみたいに俺の体を焼いちゃいそうな暑い日だった。
額に流れる汗をシャツでごしごし拭きながら階段を上って出社。
ドアを開けて、下っ端の俺は元気良く挨拶をする。
『おはようございまぁ~っす』
一直線に自分のデスクへ向かった。
席に着くや否や、一息つきたいのにお呼びがかかる。
トホホ、人気者は辛いね。
俺を呼んだのは社長だった。
いつもは親しみやすい社長だけど、そん時はちょっと違った。
なんて言うのか…暗い訳でもないけど俺を呼ぶ声が違ったんだ。
俺は社長の席にすぐに向かった。
『富士田、お前に頼みがある』
ほーら来た来た。みんな俺を頼ってくる。
俺ってそんなに暇に見えるんだろうか?
あっそうそう、言い忘れてたけど俺のフルネームは富士田ユウヤ。
結構いい名前だろ?まあ、俺の名前の話はもういいか?
で、社長が言うんだ。
この俺に。
『お前、男と経験あるか?』
わかってると思うけど、社長の言う経験はアッチの経験。
もちろん俺は正真正銘のノンケ。
ノンケってのは、その業界では普通に生まれた性別のまま、違う性別の人が恋愛だったり性の対象の人の事らしい。偉そうに講釈たれてる俺だけど、俺も色々調べたからね。
もちろん俺は社長に言った。
『いや、ないッスよ。』
女性経験も乏しい俺は疑われてたのか?なんせ、奥手なもんだから入社当時はホモじゃないかって噂が出たくらい自慢じゃないけど女っ気がないのが俺自身の悩みの種。
社長はその答えを待ってたのか、知ってたのかさらに俺に言った。
『よしっ。ちょうど良い。じゃあ、お前ニューハーフの店でいっちょ経験して来い。』
えっ?えっ?えっ?
少々の事じゃ驚かないけど、いくら便利屋でも限度がある。
出来る出来ないとは別にしたくないだってもちろんある。
だから即決って思ったけど、でもちゃーんとじっくり考えたんだ。
何事も焦りは禁物だからね。
こんな経験そうそう自分じゃしてみようなんて思わない。
これはある意味俺自身のレベルアップに繋がるってね。
なぁ、あんたもそう思うだろ?
だから俺は言った。
『是非、経験させて頂きますっ!!』
続く。

KNHS ~春日部ニューハーフ物語~ プロローグ

プロローグ

人生で最大に変わった事?俺ならこう答えるよ。
27歳の夏。
たった一人、たった一度の出会いが俺自身をぶっ壊したってね。
当時の俺は考えた事もなかった。
心と体がはぐれちまって同じじゃないなんてさ。
色んなモノがコロコロと変わって行くけど変わらないもんもある。
変わる方がイイのか、変わらないのがイイのかなんて今の俺にもわからない。
でも、考えるようになったんだ。
今は、俺は。
あいつに出会ってから。

なぁ、そこのあんた。
考えて欲しいんだ。
あんたが男なら、もし自分の体だけが女だったらってね。
これは自分の心と体があべこべになっちまった奴と俺自身の話。
なぁ、ニューハーフって知ってるかい?
あんたももう、考えてる筈だ。
性同一性障害ってのを。