俺の風俗体験記 ~白川PartⅠ~第四話

『ドウゾでげす。』
その声とともに、いつの間にか俺の横に立っていた丘嶋が缶コーヒーを俺に差し出す。
こいつが何かを俺にギフトをする時は決まってリターンを求めている。
今、お前に渡せる俺からのギフトはない。
一度はそう考えたが差し出された缶コーヒーを見た。
そこには微糖と書かれていた。
こいつなりに今の俺を理解(わか)っている。
俺は缶コーヒーを受け取るとステイオンタブを押し込んだ。
小気味良い音が耳に届けられる。
同時に鼻腔に広がるエメラルドマウンテンの香り。
そのまま空っぽの胃へと少し甘いコーヒーを流し込む。
『サンクス。生き返ったよ。』
半分近くまで減った缶コーヒーを丘嶋の方へ掲げて俺は言った。
丘嶋は変わらず伺うように俺を見下ろしている。
“あんたなら、禁断の果実を胃に入れた結果はわかっているんだろう”
とでも言いたげな顔をしていた。
『で、何が知りたい?』
丘嶋の方を向きもせずに俺は言った。
今にも涎をたらし出しそうな顔をしているのはわざわざ見なくても容易に想像がついた。
経験がそう告げている。
『何の話だったんでゲスか?社長は』
丘嶋が言った。
俺はすかさずポケットをまさぐる。
そこに答えがあるはずだ。
奥に入り込んだコインを取る。
『答えはこれだ』
俺はコインを取り出して親指ではじいた。
慌てて丘嶋が受け取ろうと両手を差し出すが、コインは空しく床に落ちた。
『チェッ!でゲス』
丘嶋がコインを床から拾いあげて言った。
俺は自分の顔が少しだけ緩むのを感じた。
丘嶋は苦笑いを浮かべると頭を掻きながら踵を返して雑用へと戻っていった。
俺はそれを見届けはせずに残った仕事を片付ける事にした。
外はまだ薄暗かった。
吐く息は濃い白で、この気温が続くのなら煙草の本数は減らせそうだ。
太陽もこう寒くてはなかなか面を拝ませてはくれないらしいが、そもそも俺は奴をあまり好きじゃない。
孤独を照らせるのは月だけだ。
オフィスを出た俺は皆と別れて相棒の下へと向かった。
駐車場に着くと、お利口な相棒は変わらずそこに居た。
―早く私を暖めて
そう言っているように俺には感じられた。
求められるのもたまには悪くない。
ただし、こいつともあくまでギブ&テイクの関係だ。
俺は車に乗り込むと、相棒の望み通りエンジンを温めてそのまま自宅へと車を走らせた。

続く。

俺の風俗体験記 ~白川PartⅠ~第三話

丘嶋の下卑たにやけ面が脳裏にこびりつく。
こいつとも数年来の付き合いだが、それに慣れる気配はない。
利害関係が無くなればと思いつつも利用価値がまだ残っている。
経験がそう告げている。

―トゥルルルルルルルル
けたたましく電話が鳴った。
俺はすばやくデスクの左前へと手を伸ばした。
『はい。』
―さあ仕事の時間だ今日も俺の一日が始まる―

ブラインド越しに見える景色はいつもと変わらない。
繁華街の獣達もだいぶ眼(ネオン)を閉じ始めている。
時計に眼をやると針は深夜の3時過ぎを刺していた。
オフィスは静寂で包まれている。
俺はこの世で最後の一本のようにゆっくりと煙草の煙を吐き出す。
そして咥えて、次はゆっくりと肺に煙を取り込む。
ゆっくりと優しく、染み込ませながら命を削る。
“煙草を吸えば確実に癌になる”
お偉いドクターがいつか俺に言っていた。
そう言われてもこいつは止められない。
それこそ止めればもっと早死にしちまうだろう。
そんな事を考えながらアルミ製の灰皿に煙草を押し付けた。
『ただ今戻りましたでゲス!』
静けさを破る、相変わらずの甲高い丘嶋の声がオフィスに響いた。
外出から戻ったようだ。
俺はオフィスの入り口を一瞥だけして、すぐにモニターへと向き直った。
画面には社長に依頼を受けた【痴女りたい】のWEBサイトが映し出されていた。
淫靡な女が数時間前と変わらず俺を見ている。
俺は《スケジュール》と書かれたメニューリンクをマウスを動かしてクリックした。
モニターには新たに一週間程度の日付が現れる。
お目当ての日付のリンクをクリックする。
幾人かの女が眼前に現れる。
どいつも卑猥なポージングで俺を誘っている。
モザイクの掛かった顔はどれも魅力的に映っていた。
誘われるように《あきら》と記された女の名前をクリックする。
スパイムービーのように《あきら》のデータを知る事が出来た。
ちょろいもんだ。
26歳、身長は164センチ。
バストがDカップ、ウエストは58センチ…
―違う、この女じゃない―
左に向いた矢印をクリックしてまた《スケジュール》へと戻る。
今度は《しょう》と記された女の名前をクリックする。
24歳、身長は154。
バストはB。
ウエストが57…
―こいつじゃないっ!―
また戻る。
そしてまた別の女をクリック。
単調な作業の繰り返し。
数人を続け様に目に焼き付ける。
眼に疲労が蓄積する。
俺をよそ目に丘島は戻ってからこちら、オフィス内を忙しく動き回っていたようだ。

そういえば…
“あなたは集中(あつ)くなると周りが見えないのね。”
昔、ある女に言われたセリフだ。
“俺が熱くなるのはお前だけだ。”
その言葉を女は待っていたのだろうか?
いや、俺がそんな気の利いたやつじゃない事ぐらいわかっていただろうか?
今となってはどうでもいい事だ。
過去を思い巡らせても、出てくるメニューはブラックコーヒーだけだ。

続く。

俺の風俗体験記 ~白川PartⅠ~第二話

でも社長の言う事は絶対だ。
これは形式的な話しなんかじゃない。
俺にそう思わせる理由を社長は持っている。
今、俺が生きているのはこの社長のおかげだ。
過去を探るのには時間が足りない。この話はまた別の機会にしよう。
俺は腹を決めた。
恩を返せるのなら何だってやってやる。
人に借りを作るのは好きじゃない。
なんせ生まれた時からお袋に人生と言う大きな借りを作っちまっている。幸せで返すのにはまだまだ時間がかかる。
俺は社長に言った。
『わかりました。店はどちらに行けば?』
社長は目の前のキーボードを叩き、マウスを小慣れた動きでクリックする。
モニターの画面が幾度か変わり、いくつかのWEBサイトが表示された。
『この中のどれかだな?』
社長は促すようにモニターを見てから俺を見た。
覗き込んだモニターには卑猥な店名がずらりと並んでいる。
すかさず社長がマウスをクリックする。
『ここなんかどうだ。いいんじゃないか?』
モニターに表示された店は【痴女りたい】と言う名前だった。
妙齢の女性が口元に自分の指をやり、妖艶な様相でこちらを見ている。
『わかりました。そちらに行きます。』
俺は二つ返事で店を決めて依頼を受けた。

そのまま俺は社長と少し打ち合わせをしてから自分のデスクへと戻った。
そしてまた一服。
既にヤニで汚れた天井に追い討ちをかけるかのように煙を吐いて静かに目を瞑った。
『社長からは何の話だったんでゲスか』
どうやら俺には一瞬たりとも休息は許されないらしい。
静寂を破る甲高い丘嶋の声。
『まあ、ちょっと…』
含みを持たす言い方をしながらも話をはぐらかした。
全てを話す必要性は感じない。
こちらから与える情報は少なく、いただく情報はごっそりと。
これも経験がそう告げている。
丘嶋は少しむくれた顔をして言った。
『ちぇっ、つまんねぇでゲス』
ただ、元々むくれた顔をしているのか?本当にむくれているかは傍目には分からない。
これも経験がそう告げている。
目の前のキーボードを叩きながら俺は言った。
『そろそろ電話の鳴る時間だ。準備を』
モニターが検索結果を表示すると同時に丘嶋の返事が横からする。
『へーい。わっかりやしたでゲス』

続く

 

 

 

俺の風俗体験記 ~白川PartⅠ~第一話

数年前の3月初旬。
太陽は低く、凍える寒さの残るそんな日だった。

そう、俺の運命が変わった日は・・・

その日、変わらない日常を感じながら俺は一人目覚めた。
孤独は常に寂しさを感じさせるが時に様々な煩わしさから開放をしてくれる、俺の10年以上のパートナーだ。
ふと、時計に目をやる
―少し眠りすぎたようだ―
急いで支度をして家を出た。
駐車場へと向かう。
冴えた車が俺を待っていた。
優しく愛撫するようにそっとドアを開ける。そしてシートにゆっくりと座り込む。
イグニッションキーを回す。
心地よいエンジン音と微かな振動。胎内の鼓動にも似ている。
ゆっくりとアクセルを踏み込み会社へと向かった。

車の中で煙草とも寒さに濁る息ともつかない白い煙を漂わせながら、俺は今日の仕事のスケジュールを整理する。
―今日は確か、面接が一件?―
そんな事を考えているうちに、出勤前に必ず寄るコンビエンスストアに辿り着く。
空腹では頭も働かない。
水、ノンシュガーのミルクコーヒー、サンドウィッチ、そして煙草。
レジではいつもの顔が待っている。
俺に恋人は居ない。
レジの女にふと目をやる。
―少し若すぎる。女は30前後が一番熟れている―
経験がそう告げている。
コンビニエンスストアを出ると再び車を走らせる。
会社までは僅か数分の距離。
最後の角を曲がると駐車場が見えてきた。
俺はゆっくりと駐車場に車を流し込む。
停車位置の目測を決めたところでシフトレバーを一旦パーキングに入れる。
そして次はバックに。
あくまで優しく慎重に。
一発で決めない事には車がへそを曲げちまう。
今日もしっかりと駐車は決まった。車はご機嫌にボンネットから熱を放っている。
俺は車から降りると会社へと向かった。
近くの公園では高校生とおぼしき男女がイチャついている。
少し過去を思い巡らそうか?いや、止めとこう。
甘酸っぱい経験など持ち合わせていない。
レモンスカッシュよりブラックコーヒーが俺には甘いくらいだ。
そんな事を考えているうちに会社につく。
オフィスに入ると自分のデスクに座り、まずは一服。
愛用のジッポライターで煙草に火を着ける。
微かなオイルの匂いが鼻をつく。嫌いじゃない香りだ。
煙草を半分ほど吸った所で今度はパソコン、つまりはパーソナルコンピューターを立ち上げる。
そいつは無機質な機械音を鳴らしたかと思うと、モニターに夢の女を映し出した。
だが見とれている暇はない。俺には仕事がある。

『おい、白川』
俺を呼ぶ声だ。こんな風に俺を呼びつける男は会社に一人しか居ない。
オフィスの支配者、社長である星敏彰の声だ。
俺は返事をすると社長のデスクへと向かった。
社長の前に立つ否やその刹那、こう告げられた。
『お前、今度の休みに性感とか痴女の店に行って勉強してこい。』
俺はまだ眠りの中に居たのか?
耳を疑う言葉が俺に放たれた。
社長とはそれなりに長い付き合いがある。
俺は何かの間違いだと結論付けて聞き返す。
『もう一度よろしいですか?』
今度は聞き逃すまい。社長の口元にじっと目をやる。
社長は俺の言葉を待ちきらずに言う。
『だからMの経験をして来い』
聞こえてきたのは同じ意味の言葉。どうやら耳鼻科に用は無く、俺に必要なのはM、つまりはマゾヒストが利用する性感マッサージ店のようだ。
社長は俺がS、つまりはサディスト寄りである事を忘れちまったらしい。

続く。