俺の風俗体験記 ~白川PartⅠ~第九話

池袋西口の繁華街。
懐かしく、やはり苦い思い出の詰まった街だ。
この街に色々教わった事は今も忘れちゃいない。
今日はこの街に借りを返すつもりだ。
俺はネオンを一瞥する。
東京の獣は、俺の街と違う。
いつだって大きな口をあけてカモを待っている。
いくつものネオン。
無数の獣が巣食っている。
眠らない獣の餌食に今日も誰かがなっているのだろう。
だが、俺は違う。
今夜は俺が獣を喰らう番だ。
ーキッチリと借りは、倍返しだ!!ー
俺はお最近お気に入りの台詞を心の中で呟いた。
西一番街。
一つ隣の通りを歩いた。
さしずめ迷路のように入り組んだ路地。
進んで行くと目的の場所はあった。
もちろん表に看板の類は出ていない。
周りの景色から受付の言葉と符合する。
どうやらこの場所のようだ。
―ここだ。間違いないっ―
もう一つの最近お気に入りの台詞を心の中で呟いた。
受付の男が確か電話で言っていた。
地下に降りた先のドアから店に入れと。
薄暗い階段を降りると聞いた通り、ドアがあった。
秘密を守るようにスチール製のドアは硬く閉じられている。
俺はゆっくりとドアノブを回した。
鍵は掛かっていない。
招かれざる客では無いようだ。
ドアを開ける。
『いらっしゃいませー!』
狭い店内に響き渡る声。
声の感じから先程の電話の男に間違いない。
経験がそう告げている。
坊主頭にずんぐりとした体格。
白いシャツに薄いブルーのネクタイ。
カウンター越しなのでズボンの色は分からない。
恐らく黒か紺だろう。
経験がそう告げていた。
三、四畳のスペースの半分近くを占めるカウンター。
簡素な丸椅子が三脚置かれている。
俺は男へと歩を進めた。
ここまできたら完全に腹は決まっている。
俺は受付の男に告げる。
『さっき電話した…』
言いかけると、オーバーリアクションで受付の男は数回頷いた。
『先ほどお電話頂いた丘嶋様ですね?お待ちしておりました。』
まずは相手が一本。
先手を取られたが次はそうはいかない。
今度はこちらのターンだ。
もちろん倍返しだ。
俺は言う。
『すぐ遊べるんでゲスね?良い娘はいるんでゲスか?』
矢継ぎ早に続けた。
『それなりに経験のある女の子が良いでゲスね。そういう娘は居るんでゲスか?』
受付に少し話す暇を与えた。
『大丈夫ですよ。今ならあきらちゃん…』
―違う、そいつじゃないっ!―
『それと、しょうちゃん…』
―そいつでもないっ!―
『後は…』
―さぁ何もかもゲロっちまえ―
俺は心の中で吼えた。
『…りょうちゃんですね。』
―ビンゴ!そいつだ―
『三名がただ今お待ち時間無しでご案内出来ます。どの女の子が宜しいですか?』
受付が俺の顔色を伺う。
―計画通り―
―ここは計画通りに―
俺は落ち着けるように自分に言い聞かせた。
『100分コースをりょうちゃん指名でゲス』
俺は受付に出来る限り悟られないように、今一度財布の中身を確認した。
―100分コースの料金、駐車場代、帰りのガソリン代、そして指名料金―
俺の行動を遮る様に受付が言った。
『では、100分コースとご指名料金、それと入会金を合わせて…』
思わず心の声がポツリと漏れる。
『―えっ、入会金?―』
―入会金だと?入会金だと?入会金だと?―
―なん…だと?―

続く。

俺の風俗体験記 ~白川PartⅠ~第八話

駐車場へと急ぐと愛車に乗り込んだ。
シートに素早く腰を落とす。
イグニッションキーを回す。
ハンドルを持つ。
―ちょっと手荒になるが、愛してないわけじゃないんだぜ―
心の中で相棒に呟いてからアクセルを踏み込んだ。
高速を使えば一時間少々。
東京都池袋。
北口。
目指す【痴女りたい】はそこにある。
岩槻インターチェンジから、東北道に乗る。
そして首都高へ。
まだ車のご機嫌は良いようだ。
しかしある事に気づく。
数日前のランチを豪勢にしておくべきだった。
牛丼レベルのガソリンじゃ相棒もすぐ腹が減る。
ケチってツケが回ってきた。
ガソリンが残り少ない。
財布には必要額と二千円程度の金しか入ってない。
下ろしている暇は無い。
それに帰りに下ろす事も出来ないだろう。
そもそも銀行に貯金などない。
よってキャッシュカードも持っていない。
だが、二千円分のガソリンがあれば自宅までは戻れるだろう。
依頼が先決だ。
信用を失ってしまっては二度と依頼は来ないだろう。
おまんまの食い上げになっちまう。
俺は深く考えず車を飛ばした。
もちろん法定速度でだ。
標識が目に飛び込む。池袋と記されてある。
俺は左にウインカーを出した。
池袋の街に吸い込まれるように、弧を描きながら速度を落とした。
高速を降りた後は程近くの駐車場へと車を停めた。
目的地よりは少し離れていたが、歩ける距離だ。
胸の高鳴りを抑えるのにはちょうど良かった。
今さらだが、もう一度持ち物を確認する。
財布、携帯。手帳。
そして何より、懐の用心棒。使わないに越した事はない。
だが必要であれば躊躇しない。
不思議な程に心は落ち着いていた。
準備は全てオーケイだ。
俺は【痴女りたい】へと向かった。
しかしいきなり行くのは紳士的じゃない。
一度電話を入れておく事にした。
番号を押すと呼び出し音が耳元から流れた。
『お電話ありがとうございます。悶々性感ヘルス、【痴女りたい】です。』
やけに元気の良い受付の声。
暗い野郎を想像していたが、勝手な思い違いだったようだ。
動揺。
だが、ここまで来てひるんでなどいられない。
怯えや迷いが生むのはいつも最悪の結果だけだ。
経験がそう告げていた。
そう思いながらも俺は無意識で声色を変えていた。
『あのお…初めて利用するんでゲスが、今空いてるんでゲスか?』
すぐさま答えは返ってきた。
『はい大丈夫ですよ。今ならお待たせせずにご案内可能です。』
安堵。
予定は狂っていたがどうやらここから取り戻せそうだ。
続けて受付の男が言ってきた。
『お名前を伺ってもよろしいですか?ご来店頂いた際にスムーズにご案内可能ですよ』
俺はとっさに答えた。
『私の名前は丘嶋でゲス。』
その後俺は、一通りの簡単なシステムなどをそのまま電話で聞いた。
ご丁寧に受付の男は店の詳細な場所を教えてくれた。
俺は電話を切った。
―思った通り、まだ丘嶋には利用価値がある―

続く。

俺の風俗体験記 ~白川PartⅠ~第七話

その日の目覚めは良かった。
とっくに太陽はかくれんぼをしていたが、月が俺を見つけてくれたようだ。
枕元のデジタル時計に目を向けると19時を示している。
どうやらずいぶんと寝てしまったようだ。
考えていた予定が崩れた事はさほど気にはならなかった。
気掛かりは一つ。
―圧倒的に情報が不足している―
予定が気にならないとは言え、時間が戻る訳じゃない。
何が起こるか分からない。
ただ、確実に起こる事も分かっている。
そして、起こさなければならないモノも。
経験がそう告げていた。
俺はすぐさま布団から出てバスルームへ向かった。
自分で定めた時刻は迫っていたが、念入りに身体を洗う。
戦いの前とはいつもそういうものだ。
首、肩、腕、胸、腹、太もも。
背中、尻。
考えられる可能性を全て肯定し続けた。
そして一つを残し全てを洗った。
最後に念入りに、残された一つ。
陰部を洗う。
皮を剥いてからしっかりと洗った。
バスルームを出ると、バスタオルで身体を拭く。
今日は心地良さにくるまれている暇は無い。
事務的に頭から順に身体の水滴と汗を拭き取る。
ボクサーブリーフはやはりKalvin Kleinに限る。
セール品だ。
黒のVネックのロングTシャツは高級ブランドUNIQLOのヒートテック。
クローゼット。
とは言っても押入れに突っ張り棒を渡しただけだが、そこからチェックの赤いシャツを取りハンガーから外して着る。
靴下は黒をチョイスした。
三枚千円の安物じゃない。
五枚千円の激安物だ。
戦いに臨む服は以前から決めていた。
相手に舐められるとそこでGAME OVERだ。
それも二つの意味で。
黒いニットのジップアップも羽織り、さらにスタジアムジャンパーを重ねて着る。
財布と携帯、そして手帳をポケットにしまう。
スタジャンの内ポケット辺りを確認する。
準備しておいた相棒はしっかりとしまわれている。
昨日の夜に油を差して磨いておいた。
詰まりが起きればいざと言う時に取り出しても使えない。
滑りは良くしておかなければ。
高い金を払ってその筋から手に入れた。
日本でマグナムは合わない。
少し俺の手より余る程度のサイズがちょうどいい。
特別にしつらえさせた木製のグリップが俺の手には良く馴染む。
そこらの路地裏で外国人が捌いている安物とは違う。
こんな物騒なモノ、持ち歩く事に慣れている訳がない。
警察に職務質問を受けたらおしまいだ
俺の仕事を話せば理解を示す?そんな淡い期待はもちろん出来ない。
この国の警察がそこまで甘く無い事は痛いほどわかっているつもりだ。
さあ、準備は整った。
俺は急ぎ足で玄関へと向かった。
そこで気がついた。
俺とした事が、スタジャンの懐に気を取られ過ぎてズボンを履き忘れていた。
慌てて踵を返し、準備していたデニムパンツに両足を放り込んだ。
今度こそ。
―待ってろよ!【痴女りたい】―

続く。

俺の風俗体験記 ~白川PartⅠ~第六話

熱いシャワーが疲れた身体に心地よかった。
三十代後半にしては均整の取れた身体。
だと思っている。
孤独は己を磨く最高のスパイスになる。
だが、出来上がったディナーを誰かと食べる事は無い。
多少は鍛えてなきゃ今回の仕事は乗り切れない。
経験がそう告げていた。
短く刈った髪から首筋、肩へと湯を浴びせる。
後背筋の辺りは念入りにシャワーをあて続けた。
疲れが全て取れる事は無い。
経験がそう告げていた。
眼を瞑り、今日一日を振り返る。
―やれやれ。今回のヤマは骨が折れそうだ―
カランを捻りシャワー止めた。
ビッグサイズのバスタオルで身体を包み込む。
春を感じるほどの柔らかな感触。
お気に入りのショップ、IKEA。
確か二枚千円程度で購入したものだ。
激安だ。
バスルームを出たら直ぐにでもベッドに潜り込みたかった。
生憎だがこの部屋にはベッドが無い。
とてもじゃないが、築15年以上の畳の部屋にはベッドは不釣合いだ。
もちろんそれだけじゃ無い。俺にはまだやらなければならない事がある。
無造作に手に取ったボクサーブリーフを履く。
ウエストの部分にはCalvin Kleinとアルファベットで書かれている。
購入したのはもう一つのお気に入りのショップ。
コストコ。
二枚組、千五百円程度だ。
少し高い買い物だった。
しかし、大事なものは必ず守る。
俺もこいつも同じポリシーを持っているから仕方ない。
ソファーに腰を落とす。
サイドテーブルにはデスクトップパソコン。
これは余談だが、サイドテーブルもやはりIKEAで買ったものだ。
千円だ。
決して安くは無い買い物だが一流の男は一流を好む。
仕方があるまい。
俺はおもむろにパソコンを立ち上げた。
機械音とともにモニターに映る女の姿。
手で恥ずかしそうに胸を隠している。
童顔からは不釣合いな大きなバスト。
なだらかなウエストからヒップへのボディーライン。
コツコツと下積みを重ねて十年近く第一線で活躍している。
彼女は歌が上手いらしい。
今となっては手の届かない存在。
夢の女が頭をチラつく。
そもそも会った事も無い女の子事を考えるのは俺の主義じゃない。
暇を見つけて背景画像は今度変える事にした。
頭を振り払い、キーボードを叩いた。
【痴女りたい】
―3日の後、決着(ケリ)をつけるしかない―
暫くWEBサイトを眺める。
情報は多いに越した事は無い。
情報が無ければ依頼は達成出来ない。
鍵を握るのは人じゃない。
物じゃない。
時間でもない。
鍵はいつでも情報が握っている。
経験がそう告げていた。
必要な情報は携帯と手帳に留めた。
俺はそこまですると、カビ臭い布団へと潜り込んだ。
そしてしばしの眠りについた。

続く。

俺の風俗体験記 ~白川PartⅠ~第五話

少しだけ温まった体も駐車場から自宅への数分で冷え始めていた。
襟を立てるだけじゃ寒さはしのげない。
ポケットから自宅の鍵を取り出し鍵穴へと差し込む。
物音?
違和感。
用心深く俺は懐に手をやる。
心臓に手が触れる。
鼓動が徐々に速度を増すのが手に取るようにわかる。
息を整える。
そしてゆっくりと鍵を右に回す。
“カチャ”
もう一度息を整える。
深呼吸をして、少し待ってからドアノブを右に回す。
音を立てないように玄関のドアを開く。
光が室内に漏れるより早く叫んだ。
『誰だっ!』
沈黙は動かない。
アンサーは無かった。
“カサ”
やはり物音。
だが、その微かな音のおかげで正体を見破った。
玄関に居る居候だ。
一ヶ月程前から突然我が家に転がり込んできた。
合鍵も持たないそいつがどこから入ってきたのかは分からない。
だが、そいつがどこにだっていつでも出入り出来る事は知っていた。
経験がそう告げている。
その侵入者は足を怪我していた。
俺は気まぐれでそいつを飼う事にした。
初めて見た時は壁の保護色なのか?薄い灰色をしていた。
今はウッドチップの敷材と同じ、茶色の体色だ。
名無しの権兵衛じゃあまりにしまりが悪い。
俺はそいつに《やもやん》と名づけた。
《やもやん》は生餌を良く食べ、今ではすっかりと元気になっていた。
俺の用心深さと《やもやん》は、どうやら同棲が出来ないらしい。
―お前ともお別れだな―
不釣合いな大きいケージから《やもやん》を取り出した。
別れを惜しんでいるのか、俺の掌から動く気配はない。
俺は外に出ると目に付いた草むらに《やもやん》をそっと下ろした。
暫くその場に留まる《やもやん》
しかし、直ぐに独特な歩行でジャングルへと姿を消した。
家にヤモリが出ると幸せになれるらしい。
昔読んだ何かの本に書いてあった。
《やもやん》にしがみつくほど俺は幸福を求めちゃあいない。
求めるのは幸せじゃない。
いつまでも借りの返せないお袋への罪悪感が消える事だけを望んでいる。
ふと上を見上げると空が白み始めていた。

俺の風俗体験記 ~白川PartⅠ~第四話

『ドウゾでげす。』
その声とともに、いつの間にか俺の横に立っていた丘嶋が缶コーヒーを俺に差し出す。
こいつが何かを俺にギフトをする時は決まってリターンを求めている。
今、お前に渡せる俺からのギフトはない。
一度はそう考えたが差し出された缶コーヒーを見た。
そこには微糖と書かれていた。
こいつなりに今の俺を理解(わか)っている。
俺は缶コーヒーを受け取るとステイオンタブを押し込んだ。
小気味良い音が耳に届けられる。
同時に鼻腔に広がるエメラルドマウンテンの香り。
そのまま空っぽの胃へと少し甘いコーヒーを流し込む。
『サンクス。生き返ったよ。』
半分近くまで減った缶コーヒーを丘嶋の方へ掲げて俺は言った。
丘嶋は変わらず伺うように俺を見下ろしている。
“あんたなら、禁断の果実を胃に入れた結果はわかっているんだろう”
とでも言いたげな顔をしていた。
『で、何が知りたい?』
丘嶋の方を向きもせずに俺は言った。
今にも涎をたらし出しそうな顔をしているのはわざわざ見なくても容易に想像がついた。
経験がそう告げている。
『何の話だったんでゲスか?社長は』
丘嶋が言った。
俺はすかさずポケットをまさぐる。
そこに答えがあるはずだ。
奥に入り込んだコインを取る。
『答えはこれだ』
俺はコインを取り出して親指ではじいた。
慌てて丘嶋が受け取ろうと両手を差し出すが、コインは空しく床に落ちた。
『チェッ!でゲス』
丘嶋がコインを床から拾いあげて言った。
俺は自分の顔が少しだけ緩むのを感じた。
丘嶋は苦笑いを浮かべると頭を掻きながら踵を返して雑用へと戻っていった。
俺はそれを見届けはせずに残った仕事を片付ける事にした。
外はまだ薄暗かった。
吐く息は濃い白で、この気温が続くのなら煙草の本数は減らせそうだ。
太陽もこう寒くてはなかなか面を拝ませてはくれないらしいが、そもそも俺は奴をあまり好きじゃない。
孤独を照らせるのは月だけだ。
オフィスを出た俺は皆と別れて相棒の下へと向かった。
駐車場に着くと、お利口な相棒は変わらずそこに居た。
―早く私を暖めて
そう言っているように俺には感じられた。
求められるのもたまには悪くない。
ただし、こいつともあくまでギブ&テイクの関係だ。
俺は車に乗り込むと、相棒の望み通りエンジンを温めてそのまま自宅へと車を走らせた。

続く。

俺の風俗体験記 ~白川PartⅠ~第三話

丘嶋の下卑たにやけ面が脳裏にこびりつく。
こいつとも数年来の付き合いだが、それに慣れる気配はない。
利害関係が無くなればと思いつつも利用価値がまだ残っている。
経験がそう告げている。

―トゥルルルルルルルル
けたたましく電話が鳴った。
俺はすばやくデスクの左前へと手を伸ばした。
『はい。』
―さあ仕事の時間だ今日も俺の一日が始まる―

ブラインド越しに見える景色はいつもと変わらない。
繁華街の獣達もだいぶ眼(ネオン)を閉じ始めている。
時計に眼をやると針は深夜の3時過ぎを刺していた。
オフィスは静寂で包まれている。
俺はこの世で最後の一本のようにゆっくりと煙草の煙を吐き出す。
そして咥えて、次はゆっくりと肺に煙を取り込む。
ゆっくりと優しく、染み込ませながら命を削る。
“煙草を吸えば確実に癌になる”
お偉いドクターがいつか俺に言っていた。
そう言われてもこいつは止められない。
それこそ止めればもっと早死にしちまうだろう。
そんな事を考えながらアルミ製の灰皿に煙草を押し付けた。
『ただ今戻りましたでゲス!』
静けさを破る、相変わらずの甲高い丘嶋の声がオフィスに響いた。
外出から戻ったようだ。
俺はオフィスの入り口を一瞥だけして、すぐにモニターへと向き直った。
画面には社長に依頼を受けた【痴女りたい】のWEBサイトが映し出されていた。
淫靡な女が数時間前と変わらず俺を見ている。
俺は《スケジュール》と書かれたメニューリンクをマウスを動かしてクリックした。
モニターには新たに一週間程度の日付が現れる。
お目当ての日付のリンクをクリックする。
幾人かの女が眼前に現れる。
どいつも卑猥なポージングで俺を誘っている。
モザイクの掛かった顔はどれも魅力的に映っていた。
誘われるように《あきら》と記された女の名前をクリックする。
スパイムービーのように《あきら》のデータを知る事が出来た。
ちょろいもんだ。
26歳、身長は164センチ。
バストがDカップ、ウエストは58センチ…
―違う、この女じゃない―
左に向いた矢印をクリックしてまた《スケジュール》へと戻る。
今度は《しょう》と記された女の名前をクリックする。
24歳、身長は154。
バストはB。
ウエストが57…
―こいつじゃないっ!―
また戻る。
そしてまた別の女をクリック。
単調な作業の繰り返し。
数人を続け様に目に焼き付ける。
眼に疲労が蓄積する。
俺をよそ目に丘島は戻ってからこちら、オフィス内を忙しく動き回っていたようだ。

そういえば…
“あなたは集中(あつ)くなると周りが見えないのね。”
昔、ある女に言われたセリフだ。
“俺が熱くなるのはお前だけだ。”
その言葉を女は待っていたのだろうか?
いや、俺がそんな気の利いたやつじゃない事ぐらいわかっていただろうか?
今となってはどうでもいい事だ。
過去を思い巡らせても、出てくるメニューはブラックコーヒーだけだ。

続く。

俺の風俗体験記 ~白川PartⅠ~第二話

でも社長の言う事は絶対だ。
これは形式的な話しなんかじゃない。
俺にそう思わせる理由を社長は持っている。
今、俺が生きているのはこの社長のおかげだ。
過去を探るのには時間が足りない。この話はまた別の機会にしよう。
俺は腹を決めた。
恩を返せるのなら何だってやってやる。
人に借りを作るのは好きじゃない。
なんせ生まれた時からお袋に人生と言う大きな借りを作っちまっている。幸せで返すのにはまだまだ時間がかかる。
俺は社長に言った。
『わかりました。店はどちらに行けば?』
社長は目の前のキーボードを叩き、マウスを小慣れた動きでクリックする。
モニターの画面が幾度か変わり、いくつかのWEBサイトが表示された。
『この中のどれかだな?』
社長は促すようにモニターを見てから俺を見た。
覗き込んだモニターには卑猥な店名がずらりと並んでいる。
すかさず社長がマウスをクリックする。
『ここなんかどうだ。いいんじゃないか?』
モニターに表示された店は【痴女りたい】と言う名前だった。
妙齢の女性が口元に自分の指をやり、妖艶な様相でこちらを見ている。
『わかりました。そちらに行きます。』
俺は二つ返事で店を決めて依頼を受けた。

そのまま俺は社長と少し打ち合わせをしてから自分のデスクへと戻った。
そしてまた一服。
既にヤニで汚れた天井に追い討ちをかけるかのように煙を吐いて静かに目を瞑った。
『社長からは何の話だったんでゲスか』
どうやら俺には一瞬たりとも休息は許されないらしい。
静寂を破る甲高い丘嶋の声。
『まあ、ちょっと…』
含みを持たす言い方をしながらも話をはぐらかした。
全てを話す必要性は感じない。
こちらから与える情報は少なく、いただく情報はごっそりと。
これも経験がそう告げている。
丘嶋は少しむくれた顔をして言った。
『ちぇっ、つまんねぇでゲス』
ただ、元々むくれた顔をしているのか?本当にむくれているかは傍目には分からない。
これも経験がそう告げている。
目の前のキーボードを叩きながら俺は言った。
『そろそろ電話の鳴る時間だ。準備を』
モニターが検索結果を表示すると同時に丘嶋の返事が横からする。
『へーい。わっかりやしたでゲス』

続く

 

 

 

俺の風俗体験記 ~白川PartⅠ~第一話

数年前の3月初旬。
太陽は低く、凍える寒さの残るそんな日だった。

そう、俺の運命が変わった日は・・・

その日、変わらない日常を感じながら俺は一人目覚めた。
孤独は常に寂しさを感じさせるが時に様々な煩わしさから開放をしてくれる、俺の10年以上のパートナーだ。
ふと、時計に目をやる
―少し眠りすぎたようだ―
急いで支度をして家を出た。
駐車場へと向かう。
冴えた車が俺を待っていた。
優しく愛撫するようにそっとドアを開ける。そしてシートにゆっくりと座り込む。
イグニッションキーを回す。
心地よいエンジン音と微かな振動。胎内の鼓動にも似ている。
ゆっくりとアクセルを踏み込み会社へと向かった。

車の中で煙草とも寒さに濁る息ともつかない白い煙を漂わせながら、俺は今日の仕事のスケジュールを整理する。
―今日は確か、面接が一件?―
そんな事を考えているうちに、出勤前に必ず寄るコンビエンスストアに辿り着く。
空腹では頭も働かない。
水、ノンシュガーのミルクコーヒー、サンドウィッチ、そして煙草。
レジではいつもの顔が待っている。
俺に恋人は居ない。
レジの女にふと目をやる。
―少し若すぎる。女は30前後が一番熟れている―
経験がそう告げている。
コンビニエンスストアを出ると再び車を走らせる。
会社までは僅か数分の距離。
最後の角を曲がると駐車場が見えてきた。
俺はゆっくりと駐車場に車を流し込む。
停車位置の目測を決めたところでシフトレバーを一旦パーキングに入れる。
そして次はバックに。
あくまで優しく慎重に。
一発で決めない事には車がへそを曲げちまう。
今日もしっかりと駐車は決まった。車はご機嫌にボンネットから熱を放っている。
俺は車から降りると会社へと向かった。
近くの公園では高校生とおぼしき男女がイチャついている。
少し過去を思い巡らそうか?いや、止めとこう。
甘酸っぱい経験など持ち合わせていない。
レモンスカッシュよりブラックコーヒーが俺には甘いくらいだ。
そんな事を考えているうちに会社につく。
オフィスに入ると自分のデスクに座り、まずは一服。
愛用のジッポライターで煙草に火を着ける。
微かなオイルの匂いが鼻をつく。嫌いじゃない香りだ。
煙草を半分ほど吸った所で今度はパソコン、つまりはパーソナルコンピューターを立ち上げる。
そいつは無機質な機械音を鳴らしたかと思うと、モニターに夢の女を映し出した。
だが見とれている暇はない。俺には仕事がある。

『おい、白川』
俺を呼ぶ声だ。こんな風に俺を呼びつける男は会社に一人しか居ない。
オフィスの支配者、社長である星敏彰の声だ。
俺は返事をすると社長のデスクへと向かった。
社長の前に立つ否やその刹那、こう告げられた。
『お前、今度の休みに性感とか痴女の店に行って勉強してこい。』
俺はまだ眠りの中に居たのか?
耳を疑う言葉が俺に放たれた。
社長とはそれなりに長い付き合いがある。
俺は何かの間違いだと結論付けて聞き返す。
『もう一度よろしいですか?』
今度は聞き逃すまい。社長の口元にじっと目をやる。
社長は俺の言葉を待ちきらずに言う。
『だからMの経験をして来い』
聞こえてきたのは同じ意味の言葉。どうやら耳鼻科に用は無く、俺に必要なのはM、つまりはマゾヒストが利用する性感マッサージ店のようだ。
社長は俺がS、つまりはサディスト寄りである事を忘れちまったらしい。

続く。